自己分析の元祖・我究館で「何のために働くのか」と問われた日。『HERO』『テルマエ・ロマエ』のDVDを手がけた伊尾喜大祐さんが、自分の情熱を言葉にするまで

インタビュー
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自己分析のシートに強みと弱みを書き出し、学生時代に力を入れたことも整理して、ESに書けそうなエピソードはそろった。それなのに、面接で「自分をひと言で表すと、どんな人ですか」と聞かれると、用意してきた答えのどれもが自分のことのように思えない。

いまの就活では、自己分析は当たり前の準備として扱われています。ところが、強みやエピソードはそろっているのに、自分のことを話しているはずの答えが、誰にでも言えそうな話に聞こえてしまう。そう感じている学生もいるはずです。

映画『HERO』『テルマエ・ロマエ』のDVD・Blu-rayや、『君の名は。』の特典映像を手がけ、ドラマ『新宿野戦病院』『シナントロープ』では公式SNSの企画・制作・運用を担ってきたのが、伊尾喜大祐さんです。伊尾喜さんは、就活に自己分析を持ち込んだ我究館の1期生でもあります。1993年、見学に来た日に最初に渡されたワークシートの問いは「何のために働くのか」だったそうです。30年以上前、我究館で自分と向き合った学生は、もともと持っていた情熱を、どうやって人に伝わる言葉にしていったのか。伊尾喜さんに伺いました。

構成・取材/絶対内定ラボ編集部

【プロフィール】
伊尾喜 大祐(いおき だいすけ)
早稲田大学商学部卒業。在学中の1993年に我究館第1期を受講し、第一志望のレコード会社、パイオニアLDCから内定を得て、1994年に入社。

1996年に株式会社ジャパンビジネスラボに入社し、我究館副館長として1000人を超える学生の指導にあたる。1999年にDVD制作事業を始め、2026年までに、セル版・レンタル版を合わせて延べ250タイトル以上のDVD・Blu-rayを企画・制作。代表作に『ウォーターボーイズ』『HERO』『テルマエ・ロマエ』『約束のネバーランド』『今夜、ロマンス劇場で』『君の名は。』(ビジュアルコメンタリーのプロデュース)など。

2009年からは映画・ドラマ作品の公式SNSのプロデュースも手がけ、近年の担当作品に『やんごとなき一族』『新宿野戦病院』『シナントロープ』など。MEDISH主宰。我究会(我究館OB・OG会)名誉会長。

映画を家に持ち帰りたかった学生

伊尾喜さんの映画への情熱は、大学に入るずっと前に始まっています。原点は1978年、小学3年生のときに映画館で観た『スター・ウォーズ』でした。映像と音響の迫力に衝撃を受け、この興奮をそのまま家に持ち帰りたいと思ったといいます。中学生のころにはレーザーディスクと出会い、大学では早稲田大学の特撮映画サークル「怪獣同盟」に所属して、毎年、怪獣の着ぐるみを自分たちでデザインして作っては、学園祭で練り歩いていたそうです。

「僕の当時の夢は、映画の感動と迫力を丸ごと家に持ち帰ることでした。ビデオテープは何度も観ているとテープがよれて、そこだけ画質が悪くなります。レーザーディスクは音楽CDと同じで、何度かけても画質も音質も劣化しない。いちばんいい状態で映画をずっと手元に置いておける、夢のようなメディアだったんです。だから、レーザーディスクのソフトの作り手になりたいと思っていました」

就活を始める時点で、志望先ははっきりしていました。レーザーディスクのソフトを作る最大手だった、パイオニアLDC(現在のNBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン)です。

「当時の就活では、マスコミはもう王様でした。テレビ局、ラジオ、映画、レコード、それに広告代理店。就職氷河期かどうかに関係なく、超買い手市場です。我究館の同期にもマスコミ志望が多かったですね」

父親の友達に片っ端から電話をかけた

パイオニアLDCはまだ若い会社で、大学の就職課で卒業生名簿を見ても、比較的若い世代のOBしか見つかりませんでした。

伊尾喜さんが知りたかったのは、自分がやりたい映像ソフトの仕事を、この会社で実現できるのかどうかです。そこで、会社の将来の事業についても話せる、意思決定に近い立場の人に会ってみたいと考えました。自分のやりたいことを実現できる会社なのかを、こちらから確かめに行こうとしたわけです。

「それで父親の友達に片っ端から電話をして、『パイオニアLDCの人はいませんか』と聞きました」

父親の親友である印刷会社の社長の、大学の後輩が勤めていることがわかります。紹介を受けた伊尾喜さんは、レーザーディスクの機能を生かしたソフトの企画書を、映画だけでなく教育や医療の分野にまで広げて何種類も書き、持っていきました。

当日、受け取った名刺には「取締役」と書かれていました。

「最初のOB訪問の相手が、最終面接に出てくる人だったんです。そこで初めて『しまった、かなり先走ったぞ』と気づきました。幸い、その方が企画書を面白がってくれて、30分だけと言われていたのに1時間半ぐらい一緒にしゃべってくれました。楽しかったんです、これが」

帰宅すると、人事から「明後日、来なさい」と電話がかかってきます。行ってみると、「まだ君の代どころか、上の代を何人採るかも決めていない。動くのが早いよ」と苦笑されました。

「見てません。明日からでも来ますから、僕、どうですか」。「うちの会社以外、見たの?」と聞かれて、伊尾喜さんはそう答えたそうです。人事の担当者は「まあ落ち着いてくれ」と言い、続けて伊尾喜さんに語りかけました。

「いいかい。大学生の就職活動というのは、大学生という看板を背負っていれば、ありとあらゆる企業のありとあらゆる人が会ってくれる、一度しかないチャンスなんだよ。そのチャンスを生かさないで、君を採るわけにはいかない。まず回ってこい。きっちり就活してこい」

1993年1月ごろ、我究館に入る前の出来事です。伊尾喜さんはこの言葉をいまもよく覚えていて、後に我究館の副館長になってからも、学生たちに伝えていたといいます。

身ぐるみ剥がされる3分間

1993年4月、伊尾喜さんは前年に開講したばかりの我究館に入ります。我究館では、自己分析のことを「我究」と呼んでいます。見学に来た日、体験授業でいきなり渡されたワークシートの問いが「何のために働くのか」でした。

「頭の中は、何をやりたいか、この会社に行きたいか、でいっぱいでした。そこに、何のために働くのかという、そもそもの根源的な、哲学みたいな問いを投げかけられた。確かにこれは考えたことがなかったなと驚いて、ここは面白い、入ろうと決めました」

当時の我究館は、赤坂見附のワンルームマンションに小さなオフィスを構えていました。

「人がぎゅうぎゅうに入っていて、いま考えれば、即パンデミックが起きそうなくらいでした。ワークシートは冊子ではなく、授業のたびにパラパラ配られて、帰りには宿題のワークシートが配られる。それを綴じる、『我究館』と筆文字で入ったファイルがあったんです。たくさん学生が来ると思って、いっぱい作っちゃったんでしょうね。ユニットバスの中に段ボールがうず高く積まれていて、僕たちはその段ボールを出してワークシートを広げ、机がわりにして書いていました。『みかん箱我究時代』と言われています」

授業は、講義のあとにワークシートを書き、グループで質疑応答をするスタイルでした。伊尾喜さんたちはそれを「ツッコミ合い」と呼んでいたそうです。

「『何のために働くのか。3分間。用意、スタート』で書き始めます。3分間、頭をフル回転させて、いまの自分に答えられるベストを書く。適当なことを書くと、発表のときに突っ込まれて答えられなくなるのがわかっているので、自分が蓋をしておきたいことも、とにかく書く。ここでは身ぐるみ剥がされる、という思いで授業に来ていました」

伊尾喜さんにとって書きづらかったのは、怪獣同盟のことでした。

「いまでこそ仮面ライダーやスーパー戦隊は若手俳優の登竜門として知られていますし、ゴジラはアカデミー賞まで取りました。でも当時は、特撮や怪獣が好きだというと、まだ『オタク』というレッテルを貼られがちな時代でした。そういう世間の空気に多少複雑な思いを抱くことはありましたが、僕自身は怪獣同盟での活動にも、実際に特撮の現場で働くようになった先輩たちにも、大きな魅力を感じていました」

伊尾喜さんが悩んでいたのは、あまりに特殊な活動の面白さを、怪獣や特撮に詳しくない人にどう伝えるかでした。それでも伊尾喜さんは、我究館のワークシートに怪獣同盟での経験を書いています。その話をすると周囲が面白がってくれることも、すでに実感していたそうです。

「就職活動の面接でも、スーツの胸ポケットにサークル活動の写真を何枚か忍ばせていました。話の流れによっては、写真を取り出して面接官に見せながら、どんな活動をしていたのか説明したこともあります」


1992年 我究館1期生 通年クラス授業風景 ワークシートに取り組む学生たち

「君は情熱のかたまりだ」

受講生として我究館に在籍したのは、1993年4月からの約3か月です。「まず回ってこい」と言われたとおり、伊尾喜さんはほかの会社の面接も受けました。ところが、いくつかの会社で思うような結果が出ません。

「プレッシャーや落ち込みで、自分のやりたいことまで見えなくなっていた時期でした。太郎さんに面談していただいて、そこで言われたのが『君は情熱のかたまりだ』という言葉です。同時に、情熱や、やりたいことを十分に言葉に落とし込めていないから、しっかり言葉にするように、と助言をいただきました」

我究館を創設した杉村太郎さんのこの言葉を、伊尾喜さんはいまも「事あるごとに思い出す、僕の大事なエンジン」だと言います。

我究館での3か月のあいだに、自分がなぜ映像ソフトにこだわるのかという伊尾喜さんの考えは、仲間や太郎さんと話すうちに深まっていきました。

「レーザーディスクのソフトを作りたいからパイオニアLDCに行きたい、という単純にも程がある発想でした。単純すぎたからこそ、ものすごいパワーで動けたのかもしれません。それが、なぜ自分は映像ソフトにこだわるのか、というところまで、仲間や太郎さんと話していくうちに深まっていったんです」

伊尾喜さんがその例として挙げるのが、怪獣同盟の活動で、初代仮面ライダーを演じた俳優の藤岡弘、さんにインタビューしたときの話です。藤岡さんは撮影中のバイクアクションで転倒して大腿骨を骨折し、番組を半年離れました。その間につなぎで登場した2号で番組はブレイクし、藤岡さんは完治しないうちに、ドクターストップを振り切って現場に戻ったそうです。

「体はつらかったけれど、現場を見に来る子どもたちの目や表情を見て、こんなにも子どもたちに夢を与えているのかと感動した。だから、もっといいものを残そうと頑張ったんだ、という話を聞いて、すごいなと。作り手はここまでの思いを持ってやっているのかと気づかされたんです。完成した映像と、そこに詰まった作り手の思い。その両方を感じられるのが、レーザーディスクというメディアでした」

伊尾喜さんが惹かれていたのは、本編だけでなく、メイキングやキャスト・スタッフのインタビューから伝わってくる作り手の熱でした。伊尾喜さんはそれを、作り手たちから受け取る「一歩踏み出す勇気」という言葉にしました。

本命のパイオニアLDCの採用試験は、6月の後半でした。レコード会社としては小さな存在でしたが、レーザーディスクソフトでは国内シェア1位の会社です。当時の伊尾喜さんのメモによると、説明会には1500人の学生が集まり、内定したのは7人ほどだったといいます。約1週間で3回の面接を受けました。

「面接で話せることは深くなったと思います。『レーザーディスクが好きです』という気持ちよりも、こういう理由でレーザーディスクはとても貴重なメディアだと思う、という話ができた。内定者懇親会で人事部長に『お前、面接でよくしゃべったな。でも、ただのおしゃべりじゃないっていうのは伝わってきたから採っとくね』と言われました」

6月末、伊尾喜さんはパイオニアLDCから内々定を受けます。やりたいことまで見えなくなっていた学生は、3か月の我究で、自分の情熱を、第一志望の面接官に伝わる言葉にしていました。

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自己分析というと、強みやエピソードを集める作業を思い浮かべる人が多いかもしれません。伊尾喜さんが我究館で向き合ったのは、何のために働くのかという問いでした。3分で書き、人前で突っ込まれ、伝え方に悩んでいた怪獣同盟の話も臆せず口に出して、もともと持っていた情熱を、人に伝わる言葉にしていったのです。

1993年当時の我究館のワークシート「大学生活マトリクス」は、いまの『絶対内定』にも同じ形で載っています。伊尾喜さんが見学の日に渡された「何のために働くのか」も、いまの『絶対内定』にワークシートとして収められています。時計を見ながら3分で書いてみてください。書いたものを誰かに読んでもらい、質問されて言葉に詰まったところから、伊尾喜さんが我究館で体験した自己分析が始まります。

【我究館1期生 伊尾喜大祐さん インタビュー連載(全3回)】

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監修者プロフィール

絶対内定ラボ編集部

『絶対内定』シリーズは、日本で最初の就職・転職活動支援スクールである我究館による発行本です。大学生協18年連続売上第1位の一番売れてる自己分析本で、人気・難関企業への多数の採用実績をもとに、「何をすれば内定するのか」を具体的に提示しています。